【黒歴史】なぜお前は漫画家になれなかったのか?

自分の生きてきた年数を振り返って常々思うこと。

なぜ私は漫画家になれなかったのか。

 

いつまで経っても変わらず好きな漫画家であるいくえみ綾さんが、「自分は漫画家にしかなれないと思っていた」というようなことを語っていた時、そういうところだよな~!と妙に納得した。

 

漫画家になれなかった理由

漫画家になりたいなーと思い始めたのが小学3年生の頃。

落書き帳に漫画らしきものを描いて、友達に読んでもらうということを趣味にしていた。
りぼんに投稿し始めたのが中学3年生の頃。
今は何で漫画を描くのが主流なのかさっぱりわからないが当時はつけペンこそ漫画家の道具だった。

Gペン丸ペン、カブラペンなどを駆使して、ひたすら白い原稿用紙と格闘する日々。

漫画を描くのが好きだった。物語を作ることが好きだった。それなのに!なぜ!漫画家になれなかったのかッ!

デッサン力がなかった

人物を描くときに重要になるのがデッサン力。これが足りないと体と顔のバランスがおかしなことになってしまう。

よくありがちなのが顔を描くのは得意だけど、全身になると途端にバランスが崩れるタイプ。だいたい顔がでかくなりがち。あとは左向きの顔ばかり書きがち。紙を裏返して透かして見るとどれだけ崩れているかが一目瞭然というアレ。

だからってデッサンの練習をしなかったわけじゃない。雑誌や映像なんかを見ながら、ひたすら人物画を書きまくったこともあった。だけどそれだって毎日書き続けなければ身にならない。

32Pを書き上げることに満足していた

私が応募していたりぼんの漫画スクールというやつは、原則32Pというページ数が決まっていた。

プロット(おおまかなあらすじ)を作り、ネームをおこし、原稿に下書きをして、ペン入れをして、消しゴムをかけて、ベタをいれて、トーンを貼って、ホワイトを入れる。という作業を32P行うわけで、それはもう相当時間がかかる。

時間がかかるからこそ32Pを書き上げた瞬間に満足感に浸ってしまう。それがどう評価されても、自分は達成感でいっぱいなので特に気にも留めなかった。
りぼんの担当者から送られてくる批評用紙を見ても、次回作に生かそうという気持ちが足りなかった。だから同じレベルのまま闇雲に作品を書いて送るということを繰り返した。そりゃー成長しない。

飽きっぽかった

物語のアイデアだけは湧き出る泉のごとく溢れていたため、手をつけている作品が未完成にも関わらず他の漫画を描きたくなる衝動がたびたび訪れた。

そうなると現在進行形で動いている作品に対しての愛着が薄れ、ところどころ手抜きになり、全体的に雑な仕上がりになってしまうという悲惨な結果になる。

作業工程でもすぐに飽きを感じてしまった。例えば下書きをしている間、早くペン入れがしたくてしょうがなくなる。ペン入れをしている間は、早く消しゴムでキレイに下書きを消したくなり、黒髪をベタ塗りして艶を入れたくなったりする。ベタ塗りをしている間は早くトーンを貼りたい!という気持ちにかられる。

延々と次の過程を追い求める埒のあかないループに陥っていた。

背景が描けなかった

漫画は人物だけ描ければいいというわけじゃない。もちろん背景も描かなきゃならない。一流の漫画家になればそういった背景はアシスタントに任せることもあるだろうが、それは一流だからできることであって、とにかく素人は自分で背景まで手掛けなきゃならない。

背景は登場人物たちがどこで何をしているのかを知らせるためにも重要な描写になるが、とにかく私は背景が苦手だった。

パース?2点透視?

漫画の描き方をひたすら読み漁って、試行錯誤しながら描いてはみたものの理解できない。やっぱりプロが描くそれとは何かが違う。

だけど努力したよ!高校は建築家コースに入学するほど!(背景を描く力が身に着くと思った。3か月で辞めた

そもそも建物の線を引くという細々した作業が苦手だったので、必然的に背景は雪原が増えた。ここは批評でも散々指摘された部分だったと思う。だから私は緻密な背景が描ける人を尊敬します。本当に。

漫画家を目指す学校に行けなかった

専門学校は漫画を専門に学べるところに行きたかった。しかし親は大反対。漫画家という安定のない仕事に就くことを良しとしなかったからだ。

専門学校へ行ったとして、漫画家になれなかったら?

漫画家になれたとしても、売れなかったら?

「お前には才能がない」とまで言われたよ。私の漫画を読んだこともない人から。

夢破れて、私は別の専門学校を選ぶことになった。
他の勉強をしながらでも漫画は描ける!と前向きに捉えて…でも実際は勉強で手いっぱいになって、ほとんど漫画を描く時間は取れなかった。そしてどんどん漫画から離れていってしまった。

りぼん漫画スクールからの批評

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手元に現存している批評用紙は13枚。

15歳から投稿し始めた私の記録、原稿は捨ててもこればっかりは何故か未だに捨てられない。

ちなみに初投稿した漫画のタイトルは「ハートに火をつけろ」
当時好きだったラルクの影響であることは間違いない。

その他のタイトルはといえば、

  • 伝えたい
  • 君と一緒
  • 「スキ」と言えない
  • 恋の病
  • 人をスキになるということ
  • キセキ
  • ほしのおうじさま
  • QP
  • ある1つの恋のかたち
  • ヒーローになりたかった女の子
  • キミの名を呼ぶ
  • こんな毎日
  • いつも一緒の理由

ザ・少女漫画☆といういかにもなタイトルたち。しかしタイトルを書き出しても肝心のストーリーは全く思い出せない。なぜならこの原稿たちはすべて捨ててしまったから。

下手な鉄砲数撃てば当たるくらいの勢いで投稿していた。A~Cクラスをいったりきたり。全く成長が見られないあたりが悲しいところ。

とにかく細かい批評、担当者からのアドバイスもあり

批評はおおまかに絵とストーリーにわけられて、担当者によってコメントの量が変わる。もっとこうした方がいいというアドバイスをくれるわけだが、もっとも印象的だったコメントがあった。

ジョー(キャラ名)とのラブ・フィーリング・ラブ・ワールドはもっとナウで過激なはず」

ジョーはイケメン男子だけど育ちが特殊でオネエ言葉で喋る男の子

ティーンだった当時には衝撃的なコメントだった。わかるようでわからない。ラブフィーリングラブワールド、ナウで過激とは一体どういうことか。

せっかくもらった批評やアドバイスを糧にせず、ただ受け流すだけの自分はどうしたって成長しなかった。

 

遠のく漫画たち

同世代の子たちがどんどんデビューしていっているのを見て、いつか自分も…!と夢を見続けていたが、周りの漫画にすぐ影響されてしまう性格もあって、あまり漫画を読まないように心がけた。

そうして過ごすうちに漫画から離れていくようになり、気づけば自分が思い描いていたものとは違う仕事に就いていた。
一度社会に出れば、日々の仕事をこなすだけで精一杯になる。漫画を描く余裕はなくなり、インクは固まり、原稿用紙は色褪せる。ペンたてに突き刺さったままのGペンや丸ペンたちは徐々に錆びて、スクリーントーンの粘着力も弱まる。

私は漫画家になれなかった。だけどこうも思う。私は漫画家を諦めたのか?

尊敬する水木しげるさんの名言「好きの力を信じなさい」

漫画を描くことが大好きだった頃。暇さえあればずっと漫画を描いていた。二番煎じのストーリーであっても、誰かを真似たような絵であっても、すごく楽しかった。好きだった。

その力を信じていたら、自分はどうせ漫画家にしかなれないと思えていたら、また違う未来があったかもしれないと思うのでありました。