【ドルオタ】ありがとう東方神起~ペン卒は突然に編~

2008年、東の神に進撃された。

正確には2009年かもしれない。当時バイトしていた近所の電気屋さんでは、常に有線が流れていて、その中で気に入った曲を調べると、東方神起であることが多かった。

そこからネットで彼らのMVを漁り出し、あれよあれよという間に沼にハマっていった。

ファンクラブに加入、過去のDVDやCDを買い集め、初の東京ドーム公演も執念で拝み、ファンクラブイベントも当選。

オタ活の勢いは止まらない!そんな矢先に起こった分裂騒動。

3人と2人に別れ、一方が活躍中にはもう片一方は息を潜めているような状況であったのが、いつしか立場が逆転し、東方神起を背負った2人がどんどん表舞台に出るようになった。

2人の活躍は目覚ましいものがあった!本当に楽しかった2012年!

分裂の理由は色々調べてみたし、いろんな人の見解や意見を見聞きしたけれど、結局何なのかわからなかった。

何にせよ、元々5人全てを応援するタイプのペン(韓国語でファン)だったので、3人を見捨てることもできなかった。

2つのグループを同時に追いかける。

彼らを追っていた時、確実に私の世界は彼らを中心に回っていた。

 

ライブのスケジュールが発表されると同時に、自分の日程も組む。どの公演に行くかを選び、ホテルの少ない地域は宿泊先の確保に困難するため、チケットをゲットするよりも先にホテルを確保しなければならない、とか。友達と協力してどの公演を申し込むか手分けするだとか。前乗りするか、新幹線かバスか。グッズは当日販売だと売れ切れてしまうことがあるので、確実に欲しいものはファンクラブの通販で先に買っておく。淡々と手配は進む。

トンペンチング(東方神起のファン友達)と協力し合って手に入れたチケットの誇らしいこと。天井席ならライブの全体を見渡せるし、神席なら近くに彼らを目にするとができる。

活動が活発なときは毎日が楽しかった。頭の中は5人のことでいっぱいだった。

恐ろしいことだが、収入のほとんどをオタ活に注ぎ込んでいた。当時の給与は月に手取りで16〜7万。1つのツアーで最低でも4回は行く。遠征であれば交通費、宿泊費がかかるし、通販で買っているにも関わらず、当日のグッツ販売会場の雰囲気に当てられて、予定外のグッズも買ってしまうこともあったし、ライブ後の仲間たちとの打ち上げも外せないイベントだ。

片方だけならまだしも、もう片方のライブにも参戦するとなれば、費用は倍増した。グループ活動だけでなくソロでも動こうものなら、オタ活の忙しさは度を増していく。

ライブが終わってから地元に戻り、1日仕事をしたその日のうちに夜行バスで移動、別のライブに参戦。なんてこともあったし、それぞれのイベントやライブが同日に開催されることがあった日には、3つの会場を梯子した。自分必死過ぎ!だけどあの頃はそこまでしても彼らを拝みたい気持ちが先行していた。

財布は空っぽ、心は充実!という生活を送っていたのが、8年位だろうか…。

それはもうとてもとても楽しい時間ではあるのだが、少しずつ不安になってもいった。

彼らもそうであるように、自分も歳を取る。

全財産を彼らに注ぎ、貯蓄はゼロ。幸い実家暮らしだったから良いものを、いつかは実家から独り立ちしなければならないだろう。

そうなったとき、今までのようなオタ活はきっとできなくなるだろうし、むしろこのまま続けていくべきかも迷うようになった。

 

彼らに対する敬愛は常にあったが、熱量というのは時とともに衰えていくのを感じていた。

感じてはいたのだが、直視したくはなかった。ライブやイベントに行き、仲間たちと語り合う時間が自分にはかけがえないものだったから。それを失ったら自分には何も残らないような気さえした。

いくらそうやって目を逸らし続けていても、現実はふとした時に押し寄せる。

メンバーの熱愛報道だったり、親からの「またライブに行くの?」とでも言いたげな目線であったり。

ちょうど仕事にも行き詰まって転職を考えていた時期であったし、洋服を爆買いしてしまった結果70万円のローンも悩みの種だった。

何かを失わなければ、何かを得ることはできない。

そんな考えに到達した頃、私はトンから離れることを決めた。

何なら今は一旦離れるけれど、生活が落ち着いたらまた戻れる。という淡い期待も抱きながら。

 

そうしてこれまでとは全く違う生活を送り始めた私の目の前に広がるのは、ありったけの現実だけだった。

たまにチングから「あのライブ見た?」「ツアーに行く?」と連絡が来ていたが、情報難民には何も答えられなかった。

ひたすら現実と向き合った2年の間に、70万のローンは返済。今の仕事はこれまでの人生の中で一番稼ぎが良い(激務だけど)。自分にはあり得ないだろうと思っていた結婚もした。

だけど今の私には、夢中になれるものがない。

偶像であったとしても、四六時中胸熱にさせてくれていたあの5人はもう、いつのまにか心からいなくなっていた。

失う代わりに手に入れたものはあるけれど、ふとしたときに喪失感に苛まれることがある。

もう彼らの曲を聴いて、心と頭が一瞬にして奪われるような、1日中多幸感に包まれているような、あの日々は戻ってこないのかと思うと、自分は至極退屈な人間に成り下がってしまったなと思う。

切ないけれど、それが現実なのだ。

懐かしさを求めて、いつか彼らのライブに足を運ぶことがあるかもしれない。

だけどもうグッズを買うことはないし、ファンクラブに入り直すこともないだろう。天井席から「あーみんな歳とったな」などとしみじみ思うのかもしれない。

おそらく私がハマった人生最初で最後後のアイドル。

ありがとう東方神起

願わくば、お互いヨボヨボになったときにでも、過去のあれやこれやは全部流して懐かしいHUGでも歌ってくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【結婚式】ノープランで結婚式をあげたら(2)

資料をもらいに行ったつもりがプランナーたちの手にかかり、さくっと契約してきてしまった時の話はこちら

pigeonmilk.hatenablog.com

 初めの記事をあげたのが214日前。本来の予定ならば今頃結婚式をあげて正月を迎えているはずだったのですが、紆余曲折あって未だならず…!!

何が起こったかは次にして、契約後の打ち合わせなどについて語ります。

初めの打ち合わせ時にはプランナーさんが作ってくれたスケジュールを元に、今後の流れを把握していきます。いつまでに招待状を送るか、衣装合わせ等々…基本的にあちらが組んでくれた段取りに沿って動いていきます。なにせノープランだから。

いろいろと話は進んでいくのですが、入籍済とはいえ未だに実感がわかず、なにか結婚したと実感することがやりたい!と唐突に言い出し、パッとおもいつた思いついたのがフォトウェディングでした。

式場で前撮りもできましたがおそらく値段が高くなります。あと式ではドレス一本で決めていたので、どうせなら白無垢を着たい!と思い、写真は別のところで先に撮ってしまおうと思い立ったのです。

 

思いつきのウェディングフォト

思い立ったが吉日!とばかりに、時は5月上旬。GW真っ只中でしたがとあるフォトスタジオで予約を取り付け、4日に打ち合わせ、6日に撮影というタイトなスケジュールをこなしました。

和装も種類がいっぱいあって、当然ながら良いものを選ぶと値段が高くなります。衣装代まるっとコミコミのセット価格もありましたが、その中で選べる衣装はスタンダードすぎるというか…シンプルすぎるというか…。

逆に少々値が張るものの、好きな着物を選べてキープ料込みのセットもありました。それを選んだとしても式場で前撮りするよりもはるかに安くあがるのは確実でしたが、なるべくなら費用を抑えたいということで、当日あるものの中から好きな物を選ぶことに。

当日は着物選びから始まります。打掛は値段に1~3万くらい幅があり、「かわいい!」と思うものはやはり追加料金がかかります。妥協しても後々後悔するのが目に見えていたので、思いきって良い!と思ったものを選び、そのまま着付け、ヘアメイクの流れへ。

ヘアスタイルもその場で決めますが、今はドライフラワーを頭につけるのが流行りだそうで。1つ1つ手作りだというドライフラワーの髪飾りも別途料金かかります。そりゃそうだろうと思います。

それでできあがったのがこちら。

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着物の色に合わせたドライフラワーのチョイス!打掛も真っ白じゃなくてキナリでまぁ~可愛らしいんですわ。

しかしこのとき最大級に太っていたため、顔が超まんまるになって写っておりました。いいんです…記念だからさ…。

衣装・ヘアメイクが整ったらいざ撮影です!プロのカメラマンの様々な要望に応えて薄ら笑いを浮かべるだけの人形と化す時間。そういえば私写真って苦手だったな…とぼんやり重要なことを思い出しながら、それすらも忘れてしまうほど結婚写真を撮りたかったのか自分…などと自身を俯瞰する。

小道具は2点まで持ち込み可だったので、仕事に関係のあるぬいぐるみを1個持参して、随所に忍ばせました。あとは傘をもって遠くを見つめてみたり、相手と鼻先をくっつけ合いながら目を閉じてみたり、カメラに背をむけて光の中を佇んでみたり、まるで走っているかのようにポージングしながらおどけてみたり…とだいたい1時間くらいでしょうか。

撮影が終わればすぐさまお着替え、写真を選んで清算の流れです(現実)

写真も加工したりアルバムを作ったりすれば別途料金ですが、両親に贈れるものが1つあればいいので特別なことは一切なし。10枚程度スマホにデータをもらえたのはありがたかったです。

着物、ヘアメイク、撮影料…しめて14万円ほどでした。一番かかってしまったのはやはり着物ですね。良いものを選ぼうとするとどんどんお値段が跳ね上がってしまいます。でも白無垢を着る機会はこの時しかないと思えば、貯金箱からありったけの預金を持っていこうという気にもなるものです。

衣装合わせ~ドレス編~

ウェディングフォトを撮ってから数週間後、式で着るドレスの衣装合わせの日がやって参りました。旦那さんは仕事だったため初めは1人で行くつもりでしたが…ネットでいろいろな話を目にする中で母親は娘のドレス選びに付き添うのが夢!などという言葉を拾ってしまい、念のため母に連絡。

式場から母のいる故郷までは車で片道4時間はかかるまぁまぁな遠方でしたが、よもや結婚するまいと思っていた娘のドレス選びとなれば「行きたい!」と即答するのではないかと…ネットで出回る話を鵜呑みにしてしまった私は、己のハードルをあげすぎたなと反省しています。

実母の反応はそれほどでもなかった。むしろ1人で衣装合わせをする私がかわいそうだから。そんな空気でした。すまん!それでも父も連れて遠路はるばる衣装合わせのためだけに来てくれました。ありがたや。

ドレスもこれまたノープラン!一応ネットでいろいろなドレスを見てはいたけれども、ネットで見つけたドレスが式場にあるわけもないので、ふわっとしたイメージを持ったままいざ式場へ。

・・・つづく!

 

 

アルパカの頭は大きくないの

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気づけばアルパカが注目される季節がやってきたのね。
一昔前、ミラバケッソとかいうCMで爆発的な人気を得たアルパカ…だけど本物はあんなにキレイなモフモフじゃないのよ。あれはテレビ用のアルパカで、普段はシャンプーして手入れしてるのよ。

かわいい生き物として注目されがちなアルパカ。だけど本当は…

アルパカの頭は大きくないの!

アルパカは南米のアンデス山脈という場所で暮らしている生き物。
お山のたかーい所にいるから寒さに耐えられるようモフモフしているのね。ペルー人はそんなアルパカの毛を利用して、自分たちの生活の糧にしてきたの。なんと現地人はアルパカの肉も食べるらしいわよ。おいしいかどうかは謎だけど。

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アルパカがニコッと口を開けるときに見える下の歯。これは伸び続ける歯なの。だから観光牧場や動物園なんかで飼育されてるアルパカは、飼育員さんが定期的に切ってあげてるのよ。
切ってあげてる上から目線だけど、アルパカからしたら恐怖以外の何物でもないの。だって両足を固定されて、動けなくされた上に無理やり口を開かされて、ニッパー或いは電動カッターでバチーン切っちゃうんだから。
だけど歯が伸び続けたら餌が食べにくくなっちゃうし、口の中の病気にもなっちゃうかもしれないからね。切らないとダメなの。

ちなみにアルパカには牙があるのよ。普段はお目にかかれないほど口の奥の方に隠れてるんだけど、この牙も伸びるの。アルパカ同士がケンカした時に、牙で相手を傷つけてしまうことがあるから、もちろん牙もバチーン切っちゃうの。
あんなにおっとりしたアルパカでもケンカをするの?ですって!?
それはもう激しい時は飼育員でも止められないほどのケンカをするのよ。相手の首だの耳だの足先だの弱い所に噛みついて、相手が倒れたと思ったら上に乗っかって!
アルパカにも上下関係があるのね。

 

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下の歯があるなら上もあるだろって思われがちだけど、上は硬い歯ぐきになってて前歯はないのよ。アルパカは草食動物だから、葉っぱを歯ぐきですりつぶして食べるのね。
だけどさっき言っていた牙は上の方にあるわけ。飼育員さんは大変よ。

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アルパカがもしサバンナにいたとしたら、間違いなく捕食される側の立ち位置。
牙はもっているけど、トラやライオンの鋭い歯と比べたらかないっこないのよ。だから基本的に、天敵と遭遇したら逃げるしかないの。
アルパカが唯一抵抗できるとしたら、胃の奥底から吐き出すツバ攻撃かしら。
よくアルパカを飼育している場所では「ツバにご用心」なんて張り紙があるけど、ただのツバじゃないの。とっても臭いの。一度クサ~イツバをダイレクトに浴びたらね、戦意喪失よ。すべてのやる気が失われる。子供は泣きだす。だけどアルパカがツバを吐いてくるってことは、傍に来てほしくないってことなのよ。自分を守るための術なのよ。だから間違っても飼育員さんやアルパカにクレームを入れることはしないでね。運が悪かった。そう思うしかないのよ。

他にもツバを吐くことで有名な動物がいるわね。
そう、ラクダよ。アルパカはラクダの仲間なの。

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これはラマよ。違いがわかるかしら。ラマもアルパカと同じ仲間ね。

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そうそう、歯が伸びるって話をしたけど、足の爪も伸びるわよ。
ほっておくと巻爪になって歩きづらくなっちゃうの。だからこれも切ってあげるのよ。
熟練した飼育員になれば、アルパカの両足を紐で固定することなく立った状態で保定して爪を切るんだけど、油断してると後ろ足で蹴り上げて来るから要注意!

何気に蹴り技も隠し持ってるのがアルパカよ。

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ラマよ。

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ところでアルパカの頭は大きくないって話をしたけど、大きく見えるのは全部毛のせいなの。アルパカの毛は刈らないとずっと伸び続ける毛だから放置してると地面についちゃうくらいなのよ。涼しいところならいいけど、日本の夏の暑さは耐えがたし。だから真夏が来る前に毛を刈ってあげる必要があるのね。
もし刈らなかったらどうなるかって?熱中症になるのよ。最悪死んじゃう子もいる。毛刈りはアルパカの健康を保つために欠かせないのね。

だけどあちこちで目撃するアルパカのほとんどが、頭の毛だけを残して毛刈りをされてる。頭でっかちで、体はほっそり。その姿がとても間抜けでユニークだって、よく笑いものにされるんだけど、あれは何でなのかって言ったら極論

頭の毛まで刈る必要がない

ってことなのよ。
熱さをしのぐためには全身の毛を刈れば事足りるから、頭まではやらずとも良いの。
なにせ大きなバリカンを使って刈るし、頭の毛を全部刈るにはだいぶ技術がいるわ。それに毛刈りっていうのはアルパカにとってとてもストレスがかかる作業。そりゃー拘束された状態でバリカンの音が響いてたら誰しも恐怖を覚えるでしょう。だから飼育員さんはね、なるべくアルパカに負担がかかる時間を短くしたいと思ってるの。
別にオシャレで毛刈りをするわけじゃないから、体が涼しくなったらそれでいいのよ。
あとこれは聞いた話だけど、全部丸刈りにしちゃったら何の動物だかわからなくなるからって理由もあるらしいわ。アルパカらしさを残しているらしいわよ。頭に。

暑さが苦手なアルパカ。実は毛を刈った後でも暑い時は暑いのよ。だから水浴びをさせてあげるところもあるのよ。多分アルパカサイズのプールがあったら飛び込んじゃうと思う。泳げるかどうかはわからないけど。

 

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暑さに弱いアルパカ。それでもわざと日が当たるように地面に転がっていたりもする。日向ぼっこも好きなのよ。春の陽気だけでなく真夏の炎天下であってもよ。本当に暑さが苦手なのか疑わしくなるくらいだわ!

 

アルパカってなかなか可愛いだけじゃない動物よ。あのモフモフした姿だけを見たらなんだかあまーい匂いが漂ってるような気がするけど、実際は結構香ばしい臭いを放っているからね。

アルパカに会ったら可愛い見た目だけじゃなくて、いろんなところに注目してほしいわね!

だけど無理やり近づいていけばクッサイツバの洗礼を受けるかも。一度体験してみるのもオススメよ。なかなか臭いは消えないけどね!

 

 

 

【結婚式】ノープランで結婚式をあげたら(1)

 3〇歳生きてきましたけれど、結婚とはずっと無縁の人生だと思っていましたね。
ティーン時代は王道の少女漫画を読んで育ったはずが、結婚に憧れを抱くことはなかったし、友達が次々に結婚していっても微塵の焦りを感じたことはなかった。むしろ結婚式に呼ばれたら喜んで参戦して、ああいう幸福の極みみたいな空間に居ると純粋に素敵だなぁと思っていた。

結婚はゴールではなく始まりに過ぎないという考えがなぜか根強くあって、これから家族がらみの色々とか子供ができたら自由がなくなって大変そうだとか思っても全部他人事なので、まるでディズニーアニメのエンディングを観ているかのように、ただただハッピーオーラが充満した中に身を置いて居られるというだけの話です。

もともとおひとり様体質であり、ひとり喫茶店もひとりカラオケも、はたまたひとり旅も十八番と化していた自分にとって、赤の他人と共に暮らして人生を歩むなんてことは、全く想像もしていなかった。絶対無理だと思っていた。

それなのに!

人生とは~不思議なものですなぁ。

親にも「自分は結婚しない」「来世に期待してくれ」と再三言い続けてきた自分が、令和婚とかいうブームを敢えてスカして、平成最後の日に入籍してしまうなんて。

時はちょうどGW真っ只中。当然市役所はお休みで、休日窓口と書かれた薄暗い小窓からのっそり現れたオジサンにたどたどしく婚姻届を差し出してしまうなんて。

 ハァー!信じられない。

だけど1番信じられないのは、両親であろうと思う。娘の花嫁姿を見ることはないのだろうと、半ば諦めかけていた2人だろうから。兄妹が4人もいて、どれもアラサーだというのに誰一人として浮いた話もない日々が続いていたこともあって、喜びと驚きはひとしおのことだったであろう。

いやー親孝行した!

と、ここで満足しても良かったところ。

結婚式をあげることになった。

婚姻届を提出したといってもただの紙切れであるし、いまいち結婚したという実感がわかない。それは本人たちもそうだし、家族のみんなも多分同じだろう。ましてや4人兄弟のうち、最初で最後の祝い事になる可能性もある。

それなら結婚しましたと皆にわかりやすく伝え、かつ記憶に残るようなことといえば、てっとり早く結婚式しかないのだった。

そもそも結婚に興味のきょの字もなかった自分。

当然結婚式など毛頭考えたことがない。ウェディングドレスを着た自分なんていうのも想像したことがない。

何から始めて良いかさっぱりわからない。

とりあえずよくCMで見るゼクシィを検索してみたりした。アプリをダウンロードして、コラムだのを読み漁ってみた。プレ花嫁などというタグがついたブログを読んでみたりもした。

・・・さっぱりイメージがわかないね!

女の子なら誰もが夢見るっていうのはお門違いなんですね。今の時代。結婚しなくてもいいという側の人間でしたからね。今更、未来永劫独身貴族精神で生きていた脳を、どうハッピーウェディングにシフトしていけばいいのか、結婚雑誌に目を通したところで上手くいくはずもなく、とはいえやると決めたら即実行のスタイルが後押しして、近場にあった式場の資料を請求。

そしたらまぁーすぐかかってくる。勧誘の電話っていうのでしょうか。

やたら甲高い声で祝福されて、2人の出会いの触りなんかでやたらと興奮して、確かに根暗なプランナーは嫌ですけども。ひとまず資料請求してみっか~って軽く考えていたこっちのテンションが追い付いていなかった。

夜の9時くらいに電話がかかってきたこともあるし、資料を直接家に届けたいって近所まで迫り来るっていた時にはさすがに恐怖を感じたほど。

それでも結婚式をやると決めた以上、避けては通れぬ道である。

郵送してもらった資料を眺め、しばらく放置した後、式場に行ってみることにしました。

式場は家から近いところ。というのも、旦那さんと出会った町だったので、縁もゆかりもない場所で挙げるよりは思い出の土地で挙げたかったというのがあります。

見学予約もせず、ちょっと近くまで来たんで寄ってみました~っていう体でエントランスをくぐる。日曜日だったのでプランナーたちは他の接客で大忙し。何かプランとか書いてある参考資料がもらえたらなーと思っていた程度だったので、日を改めても良かったのだが、「ちょっとお待ちください」と椅子で待機すること数分…。

現れたのは、式場の支配人!

支配人自ら腰を上げて対応をしようというのか!ちょっと立ち寄っただけの私たちに!そんなことしたら帰りづらくなる!

と内心思いつつ、流れに流されてアンケートを書くように言われました。

いつ式をあげたいか、どんな式にしたいか、思い出の曲などなど…。

まぁ書くだけならな、と深く考えずに記入。その後せっかくだから式場を見てみませんか?と促され、まぁ見るだけならな、とこれまた無抵抗で案内されることに。

チャペルを拝見する前、旦那さんと腕を組んで歩いてみましょう!となぜかリハーサルのような展開になり内心戸惑う2人。互いに絶対こんなつもりじゃなかった…と心の中で思っていただろう。

しかしそこは支配人。

言われるがまま立ち尽くす私たちの傍、大きな扉の前で「バージンロードの意味はご存知ですか?」とそっと囁きかけてくる。

「いいえ知りません」

なにせ結婚式に興味がなかったもんで!

 

「バージンロードというのは、花嫁であるあなたがお母さんのお腹の中にいる状態を指します。扉が開いた後一気に響き渡る拍手は、あなたが生まれたことを祝福するもの。一歩一歩進んでいくのはあなたがこれまで歩んできた人生。そして新郎と出会い、お父さんの手から新郎様へバトンタッチされ、2人で新たな人生を歩んでいく。そんな意味が込められているんですよ」

 

支配人の柔らかな口調で語られるその話に聞き入り、思わずポロリと涙してしまったのはこの私です。

あれ、私は冷やかし程度に立ち寄った客ではなかったの?

「それではいってらっしゃい!」

支配人が扉を開く。

チャペルに流れるユーレイズミーアップ。

しずしずと歩いていく私たち。

何かこのチャペル良い香りが漂っているなぁ。内装もナチュラルで、自然っぽくて。

あれ?あれあれ?

と思いつつ、再びチャペルの外へ出ると「おめでとうございま~す!」と知らない人たちがフラワーシャワーで待ち構えているじゃないか。

披露宴会場に移動したらしたで思わぬスポットライトを浴び、アンケートで書いた好きな曲を良い感じのタイミングで流され、数人のスタッフ(初見)たちの拍手喝さいと熱い視線を浴びながら階段を下り、何が何だかわからない2人に容赦なく降り注がれる「おめでとうございま~す」の言葉たち。

まずねえ、アンケートに出てきた好きな曲っていうのは、このためのものだね?うっかり窓際に寄ってしまった虫をがっちり捕獲する虫とりテープみたいに、何が何でもこの客を逃さん!という強い意志を感じ、そして屈した私たちは心ここに非ず状態のまま、あれよあれよという間に仮契約を交わすのであった……完。

 

いまどきの式場っていうのはどこもああいう感じなんでしょうか?

普通はいくつか式場を見て回って話を聞くのでしょうが、どこもあんなに手厚くもてなされては、ガラス玉のような2人の脆いハートは溜まったものじゃありません。

見学を終えて打ち合わせルームで待っている間もスイーツが出てきたり、なぜか「2人のために」と石けんで花をこしらえてみたり、飲み物だってお代わりし放題じゃないですか。なんでそんなに親切にしてくれるんですか。なぜ見ず知らずの2人に、溢れんばかりの笑顔を見せてくれるんですか。それが仕事ですか!プロだな!

ということで、式場には安易に踏み入れてはいけません。

 いえ、そもそもしっかりとした式のイメージがある人たちなら、巧みな話術やサプライズ演出に踊らされることはないのだと思います。

私たちがまんまと契約まで進んでしまったのは、すべてノープランだったから…。

 

そんなノープランの結婚式。

 

どんな風に進んでいくのか、記録していきたいとおもてます。

 

 

 

【黒歴史】なぜお前は漫画家になれなかったのか?

自分の生きてきた年数を振り返って常々思うこと。

なぜ私は漫画家になれなかったのか。

 

いつまで経っても変わらず好きな漫画家であるいくえみ綾さんが、「自分は漫画家にしかなれないと思っていた」というようなことを語っていた時、そういうところだよな~!と妙に納得した。

 

漫画家になれなかった理由

漫画家になりたいなーと思い始めたのが小学3年生の頃。

落書き帳に漫画らしきものを描いて、友達に読んでもらうということを趣味にしていた。
りぼんに投稿し始めたのが中学3年生の頃。
今は何で漫画を描くのが主流なのかさっぱりわからないが当時はつけペンこそ漫画家の道具だった。

Gペン丸ペン、カブラペンなどを駆使して、ひたすら白い原稿用紙と格闘する日々。

漫画を描くのが好きだった。物語を作ることが好きだった。それなのに!なぜ!漫画家になれなかったのかッ!

デッサン力がなかった

人物を描くときに重要になるのがデッサン力。これが足りないと体と顔のバランスがおかしなことになってしまう。

よくありがちなのが顔を描くのは得意だけど、全身になると途端にバランスが崩れるタイプ。だいたい顔がでかくなりがち。あとは左向きの顔ばかり書きがち。紙を裏返して透かして見るとどれだけ崩れているかが一目瞭然というアレ。

だからってデッサンの練習をしなかったわけじゃない。雑誌や映像なんかを見ながら、ひたすら人物画を書きまくったこともあった。だけどそれだって毎日書き続けなければ身にならない。

32Pを書き上げることに満足していた

私が応募していたりぼんの漫画スクールというやつは、原則32Pというページ数が決まっていた。

プロット(おおまかなあらすじ)を作り、ネームをおこし、原稿に下書きをして、ペン入れをして、消しゴムをかけて、ベタをいれて、トーンを貼って、ホワイトを入れる。という作業を32P行うわけで、それはもう相当時間がかかる。

時間がかかるからこそ32Pを書き上げた瞬間に満足感に浸ってしまう。それがどう評価されても、自分は達成感でいっぱいなので特に気にも留めなかった。
りぼんの担当者から送られてくる批評用紙を見ても、次回作に生かそうという気持ちが足りなかった。だから同じレベルのまま闇雲に作品を書いて送るということを繰り返した。そりゃー成長しない。

飽きっぽかった

物語のアイデアだけは湧き出る泉のごとく溢れていたため、手をつけている作品が未完成にも関わらず他の漫画を描きたくなる衝動がたびたび訪れた。

そうなると現在進行形で動いている作品に対しての愛着が薄れ、ところどころ手抜きになり、全体的に雑な仕上がりになってしまうという悲惨な結果になる。

作業工程でもすぐに飽きを感じてしまった。例えば下書きをしている間、早くペン入れがしたくてしょうがなくなる。ペン入れをしている間は、早く消しゴムでキレイに下書きを消したくなり、黒髪をベタ塗りして艶を入れたくなったりする。ベタ塗りをしている間は早くトーンを貼りたい!という気持ちにかられる。

延々と次の過程を追い求める埒のあかないループに陥っていた。

背景が描けなかった

漫画は人物だけ描ければいいというわけじゃない。もちろん背景も描かなきゃならない。一流の漫画家になればそういった背景はアシスタントに任せることもあるだろうが、それは一流だからできることであって、とにかく素人は自分で背景まで手掛けなきゃならない。

背景は登場人物たちがどこで何をしているのかを知らせるためにも重要な描写になるが、とにかく私は背景が苦手だった。

パース?2点透視?

漫画の描き方をひたすら読み漁って、試行錯誤しながら描いてはみたものの理解できない。やっぱりプロが描くそれとは何かが違う。

だけど努力したよ!高校は建築家コースに入学するほど!(背景を描く力が身に着くと思った。3か月で辞めた

そもそも建物の線を引くという細々した作業が苦手だったので、必然的に背景は雪原が増えた。ここは批評でも散々指摘された部分だったと思う。だから私は緻密な背景が描ける人を尊敬します。本当に。

漫画家を目指す学校に行けなかった

専門学校は漫画を専門に学べるところに行きたかった。しかし親は大反対。漫画家という安定のない仕事に就くことを良しとしなかったからだ。

専門学校へ行ったとして、漫画家になれなかったら?

漫画家になれたとしても、売れなかったら?

「お前には才能がない」とまで言われたよ。私の漫画を読んだこともない人から。

夢破れて、私は別の専門学校を選ぶことになった。
他の勉強をしながらでも漫画は描ける!と前向きに捉えて…でも実際は勉強で手いっぱいになって、ほとんど漫画を描く時間は取れなかった。そしてどんどん漫画から離れていってしまった。

りぼん漫画スクールからの批評

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手元に現存している批評用紙は13枚。

15歳から投稿し始めた私の記録、原稿は捨ててもこればっかりは何故か未だに捨てられない。

ちなみに初投稿した漫画のタイトルは「ハートに火をつけろ」
当時好きだったラルクの影響であることは間違いない。

その他のタイトルはといえば、

  • 伝えたい
  • 君と一緒
  • 「スキ」と言えない
  • 恋の病
  • 人をスキになるということ
  • キセキ
  • ほしのおうじさま
  • QP
  • ある1つの恋のかたち
  • ヒーローになりたかった女の子
  • キミの名を呼ぶ
  • こんな毎日
  • いつも一緒の理由

ザ・少女漫画☆といういかにもなタイトルたち。しかしタイトルを書き出しても肝心のストーリーは全く思い出せない。なぜならこの原稿たちはすべて捨ててしまったから。

下手な鉄砲数撃てば当たるくらいの勢いで投稿していた。A~Cクラスをいったりきたり。全く成長が見られないあたりが悲しいところ。

とにかく細かい批評、担当者からのアドバイスもあり

批評はおおまかに絵とストーリーにわけられて、担当者によってコメントの量が変わる。もっとこうした方がいいというアドバイスをくれるわけだが、もっとも印象的だったコメントがあった。

ジョー(キャラ名)とのラブ・フィーリング・ラブ・ワールドはもっとナウで過激なはず」

ジョーはイケメン男子だけど育ちが特殊でオネエ言葉で喋る男の子

ティーンだった当時には衝撃的なコメントだった。わかるようでわからない。ラブフィーリングラブワールド、ナウで過激とは一体どういうことか。

せっかくもらった批評やアドバイスを糧にせず、ただ受け流すだけの自分はどうしたって成長しなかった。

 

遠のく漫画たち

同世代の子たちがどんどんデビューしていっているのを見て、いつか自分も…!と夢を見続けていたが、周りの漫画にすぐ影響されてしまう性格もあって、あまり漫画を読まないように心がけた。

そうして過ごすうちに漫画から離れていくようになり、気づけば自分が思い描いていたものとは違う仕事に就いていた。
一度社会に出れば、日々の仕事をこなすだけで精一杯になる。漫画を描く余裕はなくなり、インクは固まり、原稿用紙は色褪せる。ペンたてに突き刺さったままのGペンや丸ペンたちは徐々に錆びて、スクリーントーンの粘着力も弱まる。

私は漫画家になれなかった。だけどこうも思う。私は漫画家を諦めたのか?

尊敬する水木しげるさんの名言「好きの力を信じなさい」

漫画を描くことが大好きだった頃。暇さえあればずっと漫画を描いていた。二番煎じのストーリーであっても、誰かを真似たような絵であっても、すごく楽しかった。好きだった。

その力を信じていたら、自分はどうせ漫画家にしかなれないと思えていたら、また違う未来があったかもしれないと思うのでありました。

 

 

 

 

 

 

【警備業】30時間の研修と優しいおじさん編(2)

 

 ~前回までのあらすじ~

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 駐車場、デパート、一般道路…ありとあらゆる場所に存在する警備員。
それまで全く畑の違う場所にいた自分が警備員として働くまでの経緯を残します。

手始めに30時間の研修

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警備員になるためには、初めに30時間に及ぶ研修を受けなければいけません。
会社によって実技が含まれる場合もあるようですが、自分は座学オンリーでした。
1日7~8時間を4日間。学校の授業のような風景です。ここで警備に関わる法律や、警備とは何か、過去に合った事故の事例など~さまざまな説明を受けます。

研修初日、今から現場へ出動するという男性がいました。その人は私が面接を受けた時に研修を受けていた人だったので、自分もいずれあんな風に出発するのかな~とぼんやり見送ったことを覚えています。

研修自体は資料を目で追いながら教育を受けるだけ。椅子に座って話に耳を傾けていればいいだけなんですが、予備知識がない人間からすると非常に頭がこんがらがります。
分厚い資料が計4冊。その中からかいつまんで説明しているといっても、やはり頭にすんなりと入る内容ではなかったですね。
おそらく情報量が100だとすれば、10くらいしか頭に残らない。もちろん経験者や交通ルール等に詳しい人であれば飲み込みも早かろうと思われますが…。

それまでほとんど動物関係しか携わっておらず、車の運転もほぼ皆無な人間からすれば、すべてが1からのスタート。
これをすべて頭に叩きつけるのか…と思うと自信がなかったです。とはいえ最終テストなどはないんですけども。

それからどこの会社も同じだと思いますが、研修中も給料が発生します。研修生としての値段なので、実際の額面とは異なりますが、行き当たりばったり生活を送っている身としては大変ありがたかった。これが30時間でだいたい3万円程度。もちろんすぐにもらえるわけではなく、給料と合算して支払われます。

研修中に出会ったおじさん

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研修は私以外に中年のおじさんが1人いました。
50代のおじさんで、働きながら全国各地を転々としているという話。真面目で親切で、事務所で顔を会わせる度にお菓子をくれる優しいおじさんでした。
このおじさんも警備は未経験ということで、そこはかとなく生まれる親近感。世代の違いはありますが、お互いに抱えている不安は同じ。
我々は本当に警備員になれるのだろうか・・・。

「だけどまぁ、1か月半頑張ればいいんだから。そう思えば気が楽ですよね」

おじさんはそう言ってにっこり微笑む。
慣れない場所で、心細さを緩和してくれる存在でした。研修後にはご飯を食べに連れて行ってくれたり、寮までの道のりを一緒に帰ったり、健康診断に行ったり。戦友といえるのかどうなのか。とにかく同じ時間をわかちあった同士ではありました。

※ちなみに寮は会社が無料で提供してくれました。(研修の間だけ)

「え!○○さん辞めちゃったの?!」

研修3日目あたりだったでしょうか。なにやらざわめき立つ事務所内。どうやら研修初日に現場へ旅立った男性が早くも辞めてしまったという話。
現地に到着し、新人警備員として研修を受けた翌日に辞退したそうです。つまり実際の仕事現場へ行く前に辞めてしまったという。

理由はずばり「自信がない」

地方から上京し、4日間の研修を受け、会社の人に現地まで送り届けてもらって、いよいよ仕事開始!という寸前で、急ブレーキがかかってしまった模様。
その話を聞いて、私とおじさんは俄かに震え上がる。

「現地で研修を受けた後に辞めたくなる現場って、いったいどんな状況なんだろうか」と…不安は増し、まるで噂話を楽しむ女子中学生のように「ヤダー!」「どうするー?!」などとキャッキャしてしまいました。

会社の人によれば、すぐに辞めてしまう人は少なくないのだとか。
しかしたった1人に30時間をかけ、数時間におよぶ車の移動を経て、やっとこさ新人を送り込んだのに、結局機能せずに終わるというのは、会社の人間からすれば辛い話ではあります。

されとて、自分も実際に現地に降り立ったら、同じような気持ちに至る可能性だってあるわけです。しかして未だ事務所で座学を受けている身からすれば、すべてが想像の域。どんなことが待ち受けているのか、とにかく目の前にあることを消化することで精いっぱいでした。


研修を終えて…いざ、現地へ出発

30時間の研修が済み、ついに現地へ出発する朝がきました。この日も私はおじさんとコンビニへ行き、まるで遠足でも行くような気分でお菓子や飲み物を買い込み、片道4時間ほどの道のりを車移動。

移動途中にトキオの山口が起こした事件がショックで仕事を休み、引きこもってしまった隊員がいたという摩訶不思議な話などを耳にしながら、変わりゆく景色に少しずつ意識がぼんやりして、ふと「自分は何をしているんだろう」と我に返ったり。

立ち寄ったSAで昼食をとる間、名前も知らない湖を眺めていたら、

「おこわ食べませんか?」

そう笑顔で歩み寄ってくれたおじさん。
ホームシックではないけれど、新しい仕事に対する不安が募りつつあった様子に気づいてくれたのやも。

おじさんとはいろいろ相談しあった仲。それこそ連絡先も交換していなかったけども、現場へ降り立って仕事を始めてからもああだこうだお話をするんだろうな。とひそかに思っていました。

知らぬ間に居なくなってしまうとは思いもせずに。

 

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続く

【ゲーム史】ハサミ男とゾンビたち

今週のお題「ゲームの思い出」

はじめてお題でブログを書きます。
10代のバイト代をほとんどゲームソフトにつぎ込んでいたゲーマー時代を振り返れば、避けては通れぬこのお題。

私のゲームデビューは、ゲーマーなら誰もが出会うだろう小粋なブラザーズ。

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スーパーマリオブラザーズが発売されたのは1985年なんですってね。同い年ってこともあって何となく親近感を覚えているこの兄弟ですが…。

幼い頃、兄貴が親に内緒でファミコンを入手してきたのがはじまりでございます。
親にばれてどちゃくそに怒られている兄貴の姿をドアの隙間からこっそりのぞいていたことも覚えております。

ゲームは1日3時間まで!とかいう家庭のルールが設けられても、深夜にこっそり兄妹で集まって、音量をしぼりにしぼりながら暗闇の中でテレビをチカチカさせていた当時。

その時遊んでいたソフトはマリオブラザーズ3だったので、マリオがたぬきになったりカエルになったりと、それはもう楽しく横スクロールを味わっておりました。

スーファミを手に入れたのはクリスマスだったでしょうか。

スーファミのソフトって普通に1万越えでしたよね。今思うとべらぼうに高い代物でしたよね。こりゃー親もヒーヒー言うわ。

いつまでも親に甘えちゃいられないって、兄妹たちで金を出して買おうと決めたのがプレイステーション

プレステでプレイした初ソフトは「クロックタワー2」

ここから私のホラーゲームへの追究がスタートするのです。

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ホラーゲームは大の好物でございました。
小学生の頃、1冊500円以上もする怖いマンガ本を買ってほしいと親にねだって不気味がられていた子供だったため、ホラーへの興味は人一倍旺盛。

プレステでプレイした「クロックタワー2」
初見は兄貴が友達から借りてきたクロックタワースーファミソフト)でしたが、非力で幼気な少女をどでかいハサミを持った男がひたすら追いかけ回すという狂気さは衝撃でございました。

主人公のジェニファー(たしか15歳くらいだったと思う)はもちろんハサミ男とやり合う力など持っていないので、出くわしたらとにかく逃げる。ひたすら逃げる。ある時はクローゼットに隠れ、ある時はトイレに逃げ込む。段ボールに隠れようものならあっけなく見つかってハサミで容赦なく突き刺される。たまに逃げ場がない時は、ハサミ男にタックルして回避するファイトを見せることもありますが、なにせ体力がないし、すぐにパニくる。

それはそうなりますよ。ようわからんハサミ男がジャキンジャキン言わせながら追ってきたら、誰だって発狂しますよ。

だけどこの恐怖が良かった。いつどこからやってくるのかわからないハサミ男にヒヤヒヤしながら攻略していくのがたまらなく楽しかった。

それでもひたすら逃げるか隠れるかしかないプレイにもどかしさを感じることもあります。

そんなストレスを解消してくれるホラーゲームの金字塔。

BIOHAZARD

お相手は気色悪いゾンビたちですが、戦えるのがイイ!

バイオハザードですとナンバリングでは0~4、コードベロニカをクリアしました。5もやりましたが、もうあれは私の知るバイオハザードではなかった。既に4からいろいろ進化していましたけど、レオンがかっこよかったので新鮮だった。(でも5はだめだ。あれはただのシューティングゲームだ。何せめまぐるしい。ゾンビとやりあっている最中でも平気でベラベラ会話をするから字幕を追えずに置いてけぼりだよ)

愚痴はさておき、バイオハザードの醍醐味は「ゾンビ倒し」と「謎解き」だったかと思います。
薄暗ーい洋館をうろうろとさまよい、開く扉を片っ端から開けていき、ガラス窓から飛び出してくる無数の手やゾンビ犬に驚き、打っても立ち上がるゾンビに「しぶといなお前!」とか言いながら脳天を狙い、弾がなくなればナイフで無謀に応戦、ロケットランチャーを手にした時の無敵感はハンパないって。

楽しかったですねえ。初めの頃のバイオハザードは。
いろいろなゾンビが出てきましたけど、リアルで絶対に出会いたくないと思うゾンビがリサとネメシス。

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 リサはT-ウィルスの実験台にされてしまったかわいそうな女の子。でもめっちゃ強い。銃で撃っても死なない。痛がるけど死なない。SIRENの屍人を思わせる。いくらやっても倒せないっていうのが恐怖を駆り立てるのです。

そしてバイオハザード3で登場したネメシスも困った野郎でした。
だいたいそれまでのバイオだと、ゾンビが追いかけてきても部屋を移動すれば追いかけてこなかったんですよね。だけどネメシスは違います。普通にドアを突き破って追いかけてきます。とにかくしつこいネメシス。見た目も大きく、絶対に勝てる気がしないと思わせる風貌。主人公のジルなんか太刀打ちできんだろうと、何度絶望感に襲われたか…。

いやはやホラーゲームばかりではありませぬ。

ドラクエやFFといったRPGを楽しんだこともあったし、ゼルダ風のタクト)やピクミンどうぶつの森なんかに癒された日々もあったし、DMCシリーズのダンテには本気で惚れるほど傾倒していたし、スネークや雷電と潜入していたこともあれば、乙ゲーと呼ばれるネオロマンスな世界に浸っていたこともあります。

ゲームはとにかく面白い!

それなのにゲーム離れをしてしまったのは、どんどん進化するシステムに追い付けなかったことと、プレステ3をブラウン管のテレビでプレイすることに限界を感じてしまったから。
ゲームを快適に楽しむには環境も大事。それが整うまではおあずけ…などと言っていたら、あっという間に離れてしまいました。
久しぶりにやってみようかなーと思っても、昔のように続かない。1日中ゲーム画面と向き合っていても平気だったのに、今ではすぐに疲れてしまう。…年齢のせいか。

ティーン時代、多くの時間をゲームに費やした元ゲーマー。
離れてもなお、当時を振り返ると楽しかった記憶だけが脳裏をよぎっていきます。

ゲーム業界は今やどんな動きを見せているのか。どんなゲームが発売されているのか。FFは今どのナンバリングまで進んでいるのか。さっぱりわからなくなってしまいましたけれども、いつかまたどっぷりゲームにハマり込んでみたい。

まずはテレビを買わないと。